「生命」制作ドキュメント

バリ島のアトリエに帰ってから一ヶ月が過ぎました。雨季のバリは時折激しいスコールに見舞われますが、強い日光が、激しく燃え上がるような樹木草花を照らし、画家の目には格別なものがあります。       (杉田宮司への手紙より)

最初のイメージとしての豊玉姫を描く(バリ島)

この十年、外国で暮らすうちに僕の関心はますます日本という国、その文化に集中して行くようになりました。当然の帰結ですが、その生まれ育った文化は一人の芸術家にとってその背骨であるし、地に着いた足です。今、現在の日本はとりもなおさず重要ですが、又古い日本もそれに劣らず重要です。 (杉田宮司への手紙より)

次に豊玉姫と山幸彦(バリ島)

鵜戸神宮、岩屋の中の本殿裏

この壁面に壁画を取り付ける

杉田宮司も参加して計画

このたびの鵜戸神宮での滞在は、あなたの厚意に甘えっぱなしで恐縮しましたが、僕の現在の画業にとっては従前のそれから大きく前進するきっかけとなると思っています。                    (杉田宮司への手紙より)

社務所裏の住宅を借りて下図の作成

 「鵜戸神宮」は一つのきっかけを与えてくれました。広大な、又深遠な主題を展開している記紀神話、その創生の物語と日本の風景(鵜戸の風景)を組み合わせた奉納絵のアイディアはこのような考えから来ています。 (杉田宮司への手紙より) 

住宅の外に仮アトリエを作り、2番目の下図制作

インドネシア人を多く採用する企業の寮長さんが「子供たち」を連れて見学に来る

神宮の祭礼参加の練習に来た鵜戸小学校の子供たちと引率の神官

   宮司の訪問

この作品を僕は今、多分僕と同じようなイメージを抱いているであろうと思われるあなたと一緒に仕上げていきたいと考えています。  (杉田宮司への手紙より)

時々は鵜戸港に降りて行って漁師の朝ごはんを御馳走になる、かなりの息抜き

親しくなった漁師の船に乗せてもらい、

神宮を海の側から見る

漁師は毎日見ているが、陸の人間はほとんど見ることのない神宮の岩屋を海の側から望む

右は海、左は岩屋、神事を見学に参道の石段を降りる

杉戸絵本画のための神事準備

神事には友人も参加


  今朝十時の神事で僕の心は晴朗で純粋になった。祝詞の一句一句が身にしみわたって行くのが心地よかった。この絵はいい絵になるという確信が持てた。神の庭で絵を描くという幸運を、生涯のうちで持てるとは。     (制作日記より)

衛士さんが仮設に杉戸の設置、神官さんも見に来る

神官の一人が下塗りを手伝う、待ち切れずに描き始める

  二~三年前、イタリアでジオットの絵を見た時、彼のように絵を描きたいと願ったのが叶ったわけだ。 僕が描くのは、神のためではない。それは人間のためだ。人間は幸福に生きるのがいい。

  今日は杉板の画面にジェッソをぬって下地を作る準備。神官の一人が手伝ってくれることになる。多分このようにして、フラ アンジェリコは絵を描いた。

                             (制作日記より)

本画デッサン

儀式殿に移して最終仕上げ

いよいよ最終段階

岩屋、本殿での奉納方奉告祭

豊玉姫と山幸彦の部分

鵜戸の大自然の部分を見る画家

杉戸絵「生命」奉納奉告祭

奉納画「生命」について    鵜戸神宮宮司 杉田秀清

 417日に「生命」(鵜戸の大自然)と題する杉戸絵が、3年越しの年月を経て完成し、奉納された。

 制作過程における画家井山氏との会話は、常に情熱に満ち溢れていた。鵜戸のすばらしい自然、生物を育み、真清水を生み、海を育てる社叢、岩礁とその奇岩に打ち砕ける波頭、大海原より輝き昇る太陽、天空にあり刻々と色彩の変わる雲や月。

 多くの参拝者の踏みしめにより凹んだ八丁坂の石段、洞穴の中で朝日に映え神々しく照り輝く御社殿、賑々しい参拝者の驚嘆の声や喧騒やざわめき。

 そして祈らずにはおられない社や自然の佇まいの有りようは、まさにこれは太古より今日まで続いた鵜戸の姿である。そんな会話から次第に熱のこもった議論に発展したものである。

 観光とは元より信仰と結びついて、ある時は崇高なるものを求め、ある時は楽しさあふれるものであった。

 それを日本人は次第次第に信仰をわすれてきたのではないかとの懸念を持つのである。

 井山氏が今住んで主として制作活動に励んでいるバリの観光が、よりバリ的になるために、信仰が日常生活におけるあらゆる面、献花や供物をささげて朝夕に祈ることからヒンズー美術、ガムランの響く音楽や舞踊、各地各家にある独特の様式をもった割れ門、神殿様式、数えきれない習慣など生活が信仰と結びついたところに今のバリの魅力があり、よりバリがバリ的になることを目指していると井山氏は強調する。

 彼は国際的に活躍しながらも、バリで生活していく中で、バリの文化を受け入れながらも、日本人として目覚めたと思われる。その基本は、国際社会においては日本人であることをベースにおかざるを得なかったことがあると思われる。彼は鵜戸に来る前から日向神話の大らかさに非常なる啓発を受け、この度の奉納には、彼の苦悶と勉学と、日本人としての誇りを偲ばせるものがある。

 それは太古を未来につなぐものとなり、彼と私の一途な思いが絵に対して一致したような気がする。

 そして、それは宮崎の人々があまり日向神話を知らなくなったことへの無念さと、宮崎の持つ自然の素晴らしさとを再認識してほしい願いがあることからでたものに他ならない。

 

「杉戸絵奉納奉告祭」   

 宮崎市出身で、インドネシア・バリ島在住の画家井山忠行氏が杉戸絵を奉納。

 奉告祭は417日、井山忠行氏をはじめ多数の参列を賜り、厳粛に斎行された。

 「生命」と名付けられた杉戸絵は縦2メートル、横6.4メートルの板に鵜戸神宮の風景、縦横1.6メートルの板2枚に、山幸彦と御祭神鸕ガヤ草葺不合尊を胎内に宿した豊玉姫がアクリル樹脂絵具で描かれている。

 この絵は、御本殿裏に取り付けられていたが、5月に井山氏の個展が宮崎市の県立美術館で終了した後、授与所に移設された。

 井山氏は、本県出身の瑛九を中心に結成されたデモクラート美術家協会の会員として瑛九、加藤正らに学んだ。協会解散後も精力的に作品を制作され活躍されている。              鵜戸神宮 報「鵜戸」 平成1371日号掲載