画家と語る11

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 山下夫妻が帰った次の日は画家もボーっとしている、が、それでも「やる」と言ってカンバスに向かう。昨日は少し力が出て、今日は何とか元通り。

 画家の絵、垂直シリーズの次に来たのが裸の人体。「ヘビに驚く青年」や「クタビーチの裸婦」、今始めようとしているのは120Mに、朝、東の空が明け、陽の光が射し始めた時の大きな1枚のヤシの葉。これがイメージにあってかなり興奮している。99年に正面性のモチーフとして使った「大きな葉」のテーマと、「聖母子」とを重ね合わせている様子。139cm×10ヤードというポリエステル、Rp850,000のカンバスを注文。

 画家の絵がどんどん鮮明になって来ている。

 お客さんをネカ美術館に案内して、私も久し振りに「ガムランの響き」を見た。いつもの順で見て歩いて、この絵が目に入ると「ずいぶんさっぱりした絵だな」と思う。そして背景のチタニウムホワイトがどんどん青を食って白っぽくなっている。絵というのは観る側も変わるけど、色そのものの持つ力も変化していくものなのだ。

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 昨日昼前に602枚のカンバス張りを手伝った。夕方には「クタビーチの裸婦」の3枚目を木炭とパステルで、今朝は「ヘビに驚く青年」に取りかかった。朝食を知らせると「食べるより描いている方がいいんだけど」という気持ちが返ってくる。「白いカンバスに木炭でデッサンして、色を付け始めると気が一番楽しい」。又、「人体は面白い。キャラクターがあるから」と今、人体に夢中。コンセプチュアルアートなど、絵の描き方がいろいろあるにせよ、このカンバスには何が描かれているか、が一目見た時に分かることは充分大事だと私は考えている。

 経済や政治をやっている人は「今」をやっているけど、芸術家は「今の負の部分」も生きている。理想主義の無い芸術家というのは無い。いつも現在と闘っている。理想主義と政治という問題を考えてみる。ここインドネシアでは貧富の差が大きく、それに伴って知識の差も大きい。日本は、アメリカは、ヨーロッパは、、、画家はいう、今、新しい哲学というものが必要なのかもしれないね。人間の「欲」ではなく「幸福」というものを考える「哲学」が。強い、勝つということではなく、もっとバランスの取れた生き方、理想。これから世界が変わるとしたら、こういうところから。

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 三鷹の高松(次郎)さんの家での会話からもう11年が過ぎた。あの時の会話を今聞いていたら、二人の話しの意味がもっと自分と繋がって、理解も出来ただろうと思う。あの後5年ほどして彼が胃がんか何かで亡くなったことは新聞で知った。マティスとデュシャンはどちらが重要だと思う?と言った高松さんの言葉は今でも画家と私の会話の中によく出てくる。その頃私はデュシャンが後年芸術から離れたことを知らなかった。「その時ジャコメッティの名前も出たんだよ」「じゃどうしてピカソの名前は出て来なかったの?」「平面の話をしていたから」高松夫妻、画家、八千穂さんと私。この会話はテープにとってある。次回の仕事―テープ起こし。食事の時奥さんが高松さんの食事をまるで口に運んであげているような印象が強く残った。常に絵に熱中していて食事中も絵のことを考えているのだと、今は分かる。

 朝食後、画家自身の絵の話しになる。62年に「丸」と「赤と青」そして「1年間」という限定と、丸と丸の間に丸を描くという無限の行いで描かれた「無限と限定」を描いてから東京を離れ、絵からも離れる。「ここで芸術を放棄した」。東京=都会というものに絶望を感じて九州の田舎に移り住む。その後もボツボツと絵は描くのだが、74年「行き止まり」、75年「世界の終わり」とタイトルからも察せられる通り、「絵でやることは何もない」という感覚。これは高松さんも言っていた「あの頃は何も無かったよね」。彼はその頃、あるいはその後「影」の絵を描いて爆発的に世に出てしまった。「今でも を描くと売れるのよ」と言っていた。その時はただ単純にそれで生活が出来るという意味に受け取っていたが、あれは自分が本当にやりたい「絵画、芸術」をやってもそれでは食えないという意味だった。「今の画商は好きなことをやって良いと言ってくれている」けれど。彼がアトリエを案内してくれる「熱帯」というシリーズ。画家の絵にもよく出てくるひらひらしたリボンの様なもので描かれている。ああこれが高松さんの「熱帯」と思った記憶がある。その頃もうバリに来ていた画家が「熱帯」を描くなら熱帯に行かなきゃ」と言っていたが、果たせなかった。私が初めてバリに行った時、それまでカタログの絵でどうしても理解できなかった89年の「リング(バリ)」を一瞬で理解出来た、実感したと思った記憶がある。そこの空気の中で―熱帯にいて描く「熱帯」―高松さんは身体が硬くてよくマッサージに来てもらう話しをしていた。画家はその後、「高松は危ないぞ、身体が硬すぎる」と言っていたが。

 津奈木の山の中に籠って養鶏場のかたわら―デッサン―はよくやっていたと言うが、80年ごろから円弧を使った作品が始まる。「自然」というタイトルが示す通り、抽象表現による自然だ。8487年の「リング(赤・青・黄)」や8687年の「リング(海の星)」において、田舎で暮さなければ現わすことの到底できない、抽象による豊かな自然。「芸術をやる」という画家の気持ちの表れと見える。「無限と限定」以前の「リング」の作品群、円から離れ、20歳代の頃のデッサンによく現れている「細胞」の様なものの結合で出来ている6466年の「三人の賢者の頭部」はやはり又、芸術をやるという意志で描いたと言う。タイトルは心の中の「詩」。

 マティスの画集を見ていて、「ニースにいてその光の中で描く絵。僕もバリにいてバリを描く、バリの空気を伝える、バリにいるから描ける―これをやらなきゃ。」マティスの失敗作ではないかと思われる大作「川辺の女たち」これを見にシカゴに行きたがっている。この絵からイメージを得て、人体シリーズをやっている画家は、新しく、滝にうたれる女のイメージが湧いて来たところ。「120M、カンバスは今あるポリエステルでは絵具の食いが足りない。麻のカンバスで」。

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 1作目と2作目の「ヘビに驚く青年」を西の壁に並べて掛けて、正面に椅子を置いて座ってじっと見ている。「巧まずしてやれるのがいい」「企みがあってやるのもいい」とつぶやく。「きっと芸術家の本性がそこに出るね、心の底からやりたいと思うことが画面に現れるから」「セザンヌはそれをやった人。現代(セザンヌ以後)の芸術家にセザンヌがあるかどうかは大きな問題。アメリカの現代絵画はそこが欠けているのね」「抽象画が装飾になってしまうのは、この絵としての本質が欠けているから。戦っていないのね。安易に描いてすぐ売れる。スタイルだけ」「マティスはそれをしっかり追及している。絵に詩があるね。クレーは絵で詩を描こうとしたけど、本当は絵の中に詩がなくちゃ。クレーの画集は何回も見たいと思わないもんね。やはり絵としての追求の足りなさだろうね。」

 昨日、大方の片づけは済んで、今朝は「少し早く片付け過ぎたな~」と、いつも起き出す時間にはマティスの本を読んでいた。今回の滞在期間とお客様との付き合いの割には成果が見えたように思う。「人体シリーズ」は、かなり気合が入っている。短期集中。

 それにしても日本がちらちらし出すと気になるのがお金。現実だから。「本当の絵描きは絵のことは話さない。金のことばかり言う。と画家はよく言う言葉。「瑛九さんもこうだった。ゴッホの手紙も金の請求ばかりが書いてある」と。

 

2003年3月から7月の記録はこれでお終いです。