画家と語る9

  618

 2ヶ月弱の日本滞在からバリに戻る。フライトが夜の到着なので常宿にしている空港近くのホテルに泊まる。山下夫妻が71日からバリに来る予定。退社記念に豪華なホテルに泊まりたいとのこと。一夜明けて、ビーチを歩いてそのホテルに行ってみる。去年10月のバリBOMとイラク戦争、SARSなどで観光の痛手は激しい。今少しずつにぎわい始めてはいるが。フロントで料金を訪ねると50OFFとの返事には驚く。現実を見る思いがする。

 14日からネガリに。先ずは庭の手入れに毎日忙しい。昨日で一通り終わり、、、、終わりにして絵を描く態勢を整える。前回の作品を出してみる。ただ眺める、一点一点よくみるとどこをどう描くかが見えて来る。

 朝目覚めて「やさしい、明るい、暗いといった全ての感情が一体となった絵を描くこと」。画家はバリの空気で絵を描くのが、今最もやりたい事。日本にいては考えられないほど絵のことしか頭になくなる。

     624

 1990年の小品「凧の回転」を見ていて、目に見えたものではない、感覚的な表現であることを強く感じた。赤と白の二つの凧が上空の強い風に翻弄されている。のびやかでしなやかで、しかも強い線が自由に走っている。バリで描き始めて形が無くなっている、それまでは形というものの究極の「円」ばかりで純粋抽象と言えるような作品を何年も描いていた。それ以降バリに来てからは徐々に「円」から遠ざり、筆の動きがすっかり自由になる。画家に聞いてみる、曰く バリに来てバリ人の絵をいろいろ見ていて―具象性、形に囚われている―絵というものはもっと感覚の表現であって、形に囚われているバリ人にそれを示したかった。絵がもっと抽象的に描けるものだということを見せたかった。音楽や舞踊では抽象的で自由なのに、絵では描写に囚われている。これはシュピースの功罪の罪の方だろうね。西洋式の「描写」が絵だということになってしまった。今のバリの抽象画は良いと思う。でも、その抽象が宇宙的なところまで行っていないのね。スマディヤサみたいにどうしても描写が入って来る。説明的な要素がどこかにあるのね。

     625

 「後衛の闘い」という言葉を画家は最近よく使う。10代の後半から「デモクラート美術家協会」という前衛芸術集団に参加していた画家が、50年という彼の画家としての歴史を経て口にする「後衛」という意味を考えてみる。この言葉を初めて画家から聞いたのが、画家がジャコメッティの本を読んでいる時だった記憶があるので、私もその本「ジャコメッティ 私の現実」を開いてみる。本人が書いたり、ラジオで語ったりしたものをまとめたものなので、作家―芸術家の驚きや過去に受けたインスピレーション、それによって落胆したり、脅迫させられるほど追及したりの過去が記されている。画家のそばにいて「芸術家」として生まれてきた人間がどんなに一般の人と違う精神的、社会的違和感―プレッシャー―を感じているかを知っているだけに、ジャコメッティのそれを推し量ることはそう難しいことではない。今(過去にも)、画家は先生というものを持っていない。ひたすらバリにいて自分自身のイメージを追及している。絵を描いていない時はピカソやマティス、いろいろな画家の本を読み、飽きずに画集を見ている。現代芸術について常に考え、「さらばしからば自分はどう描くか」と、いつも自分の制作のことを考え、そしてピカソ、マティスをピカソ先生、マティス先生と呼ぶ。今、芸術をやっている人達で、まともに油絵を描いている人がどれほどいるのだろうか。芸術は映像やインスタレーションに代表され、あるいは取って代わられて、純粋に絵画をやっている人はいなくなってしまったのか―カンバスに描く「絵」=四角い平面に現わすということは、過去のことになってしまった―となると自分は今、後衛の闘いをしているということになる。カンバスの上でやることは本当にもうないのか。自分はそうは思わない、まだ追求することがある。

 10年ほど前、「自分の作品をピカソとマティスの間に並べてみたい」と言うと笑われると言っていた、今はピカソとマティスの間に来るのはジャコメッティかも知れないと言う。

 私の知っていたジャコメッティを再認識させたのはベニスのグッゲンハイム美術館で見た小さな作品で、歩いている人が何人かいる、どこかの広場の様な作品。私の知っている今までのジャコメッティの作品とは違った、私のダンスの経験でとらえる事の出来た感覚だったことを強く記憶している。(私の知っている作品の)「一人」ではなく、「多数」になったことによっての表現。

     6月26日

 それが2回目になった油津赤レンガ館での発表の時、「花束・にじ」を買ったIWAKIRIさん。バリに来る直前の6月10日に彼の画廊を訪ねた。彼はずいぶん以前から画商から絵を買っていて、別棟の「画廊」に一番新しい画家の「花束・にじ」の絵を真ん中にして40点以上の作品、そしてご自身の作品は床に並べてあった。絵の描き方、見方の話しになる。画家「例えばネコを描くというのは、ネコそのものを描くのではない。それは今や写真の仕事であって、絵はネコの持っている曲線とか、柔らかさとかをネコを借りて表現する、これが絵だと思うんです。」「何を描こうとしているのか」といつも言われるんです。そうですか、これはいいことを伺いました。

 今朝はサイズの話しになった。ある絵に対してちょうどいいサイズの必要性。美術展などで最大が100号までとなると、判で押したようにどの絵も100号。これは画材屋と撰者のいいカモでしかない。大きければいいという訳ではなくて、その絵にとってのちょうどいいサイズを考える必要がある。展覧会のために描く100号、自分の表現の欲求のために描く100号。いつも話しの落ち着く先は―日本人はお金持ちだ―という事。本職の画家が貧乏で高い絵具が買えずにいても、アマチュアの画家の方が高い絵具を惜しげもなく使う。ホント。

 今回絵を描き始めて約10日目、画家はこの頃にいつも乗って来る。垂直シリーズの続き。80号に描いていて「ここに描かれたというのではなく、画面の向こうから現れた」というように描きたい。

     627

 絵画の現状の話し。先日話していた「後衛」のこと。画家は自分は「後衛」の仕事をしている、でもこれこそ芸大の先生という人間がやることじゃないの?ファッションとか現状とかばかり見ていないで、もっと本質的なことをやるのが芸大の先生の仕事じゃないの?

 本質というものを考える時、人間はもっと謙虚に、丁寧に、もっと幸せを自分のものとして生きられると、ここバリにいて思う。少なくともバリ人はそのように暮らしていると思う、いろいろな矛盾はあるにしても。それ故に画家はここで集中して制作が出来る。