画家と語る10-2

(お客さんとのバリ島1周の旅、絵画論は無し)

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 71日~13日、山下夫妻を迎える。以前、ここに滞在したことのある彼らを、先ずはネガリの家に。懐かしさに大喜びしている。バリ産ワインで乾杯。甘辛、いろんなお土産を持ってやって来た。今回の私たちのバリ滞在は、40日と短いが、日本では誰よりも良くしてくれる山下夫妻を快く迎える。以前にも増して仕事の集中したい画家だが、今回ばかりはちょっと譲って一緒に遊ぶ覚悟。123日は午前中絵を描いて後はおしゃべり。奥さんはスケッチブック持参、○○COFFEE50歳で630日に退職したばかりの山下さんはそれなりに話したいことが一杯。

 3日から帰る日の13日までレンタカーを借りる。トヨタ キジャンをRp90,000×10日間。山下さんは図書館で借りた本をたくさん持って来た。45日はクタの豪華ホテル、私達も滞在。朝夕のビーチの散歩、泳いだりテニスをしたりの、ホテルライフ。画家の知り合いのサンディのお店で彼の退職祝い。ロマンティックなクタビーチがドメスティックのジャワ人で一杯。ほとんどの人が服のまま水際で立っているだけで波に打たれている、いつもとは全く違う雰囲気に驚く。バリはインドネシア国内でも人気の観光地なのだ。いつもならクタビーチをより美しくしている西洋人は浜辺の上の方にサロンを敷いてそれを眺めている。彼らもこのジャワ人の雰囲気に気おされたのだろう。誰も何も言わないのにそんなバランスが自然にできる。6日の昼にネガリに戻る。8日はやはりバリ在住のオカノ夫妻とバリハンダラ廣済堂でゴルフ。ゴルフをしない山下夫人と私はお付き合いでついて行く。歩いた歩いた。いつもやっているオカノさんは強い。奥さんは始めたばかり。山下さんはやはり若さで良く飛ぶ。画家は前半は良かったが、後半はバテた。全員疲れたので9日はお疲れ休み。夕食の準備をしようと冷蔵庫の前にしゃがんだ途端、昔痛めていた左ひざががくんとして例の痛さが来た。すぐに冷やしたが、お客様もいることだし、早く治そうと、次の朝チョクさんに診てもらう。日本でなら1週間はかかると思うのに夕方には階段をちゃんと降りていた。画家はやはり絵が描きたい。朝起きて午前中は絵の前にいる。山下さんは画家よりも早起きで本を読んでいる。朝食が済むと画家はいつものように又仕事を続ける。2週間の予定で来ている山下さんはもう少しアクティブに過ごしたい。

 10日、バリ1周旅行に出かける。西回りをすることにして出発。クタ以外は観光客が少ないのかと思っていたら大間違い、夕陽と寺院で有名なタナロットはいつに変わらず賑わっている。クタ方面に向かうとさらに渋滞。何とか続きの部屋が1泊採れた。前もって言わなかったが、10日は画家の誕生日、それをちゃんと知っていて日本から持って来てくれていたワインで又乾杯。次の朝、ビーチの散歩の後出発、ハンドルはずっと山下さんが握る。長い長い西海岸沿いに行って、道はまだまだ続く。行けども行けども、、、、道は路肩が悪いが日本の器械が入っている。左右からどんどん追い越して行くモーターバイクに慣れない日本人ドライバーはなかなか苦労する。

 途中の小さなビーチに車を入れて一休み。ギリマヌク(ジャワへ行くフェリー乗り場がある)を過ぎると道は急に静かになった。バリのナショナルパーク、プラキ寺院を過ぎてロビナビーチ、シンガラジャもやり過ごす。どこと言って泊まる当てはないが、ロビナの海は泥っぽくて泊まりたくない。更に行くと以前泊まったことのあるあたり、とは言ってもいつも行きあたりばったりの旅。やはりこの辺が適当と思われる、こういう感は画家が鋭い。こじんまりした感じの良いところがみつかった。海に近い一番いい部屋でRp200,000。海に浮かびながらサンセットを見る。夕食は近くのイカンバカールとサテを取り寄せてビールと持ち込みのワイン。バリはどこでも持ち込みを嫌がらないので気持ちがいい。私たちの他には誰もいないのがちょっと寂しい感じ。20室度の海辺の小さなホテル、あと2組くらいの西洋人がいるくらいが良さそうと勝手に思う。

 12日朝、昨日は良かった海が今日は岸に波がドーンと音を立てて寄せている。プールに浸かる、本を読む、陽に当たる、それぞれ。山下さんはもう出発の用意が出来た。「僕ならもう2時間ぐらいゆっくりしているんだがな~」と画家。11時頃出発。東から見るアグン山はなかなかの迫力。お昼をティルタガンガでとることにして宮殿の前のワルンに車を止めるとすぐに見知らぬ日本人が現れた。空手家の様な白の衣服に後ろに結んだ髪。少し話して食事を誘う。スルヤさん、こちらで付けた名前。福岡出身、ここから5km山の中に入ったところに一人で暮して17ヵ月になる、3年間はこの生活をしようと思っているという。新聞社に勤めていたということから察すると、現代の生活に嫌気がさした、あるいはもっと清らかな生活がしたいと、出家したか。内には深いものがあるに違いない。普段は動物たちと暮らし、自炊をしている。久々にお昼を食べに5km歩いて来たところ。皆が九州出身と聞いて懐かしがっていた。画家が私も出家した「あるバリ人の家で6年間居候した、今はブルジョワ的に暮らしている絵描きだ」と話すと、彼は画家を先生と呼び始めた。人にはいろんな生き方があるものだ。だが、山の中での一人暮らしというのは一言では言い表せないことがあるに違いない。ティルタガンガのこのワルンに来て、顔見知りのバリ人に返す言葉が「マシ ヒドゥップ(まだ生きている)」。この様子で彼が地元のバリ人に受け入れられているのが分かる。一皿Rp4,000のナシチャンプールにバリ人のように有難うを言って(お金持ちの方が払う)別れた。

 13日フライトは夜。オカノ夫妻とテニス。10時からしかコートが取れなかったとのことで次第に暑くなってくる。ここでも運動しなれない画家と山下さんはバテて来る。午後ゆっくりと荷造りをして、1週間後、画家を福岡空港で迎える約束をしてコンチネンタル航空で帰路につく。