画家と語る8

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わーわーという鳥追いの声で目が覚める。田んぼの稲に実がついて来た。バリの稲の成長は速い。あっという間に実り、収穫をする。昨日は満月、田の水の神様の寺―プラ スバックのオダラン(創立記念日-6ヶ月毎に行われる)で、クバヤに身を包み、お供えを頭に乗せた女たちがいつもとちがってすまし顔で緑の田んぼの中を歩いて行く。美しい。バリ人から祭りを取ったらどんなに悲しむかと思うくらいたくさんの祭りがある。その度にお決まりのクバヤを着る。嬉しそうに着る。

 マティスはね、本当の抽象まで行ったと思うよ。自然―神の創造物―を畏れている。自然から離れていない。これが本当の抽象だと思う。とことん追求しているね。クレーもいいところまで行ったと思う。晩年の作品を見ていないけど、これは見てみたいね。

 ニューヨークなんかでやっている画家は金のことばっかり考えているんだろうね。やはり金と名誉。これがないと尊敬されない。それで同じ絵を何枚も描く。僕だったら気が変になるよ。バリはまだ違うね。金がある絵描きは尊敬される。金がなくても精神性の高い絵描きはボロを着てても尊敬される。

 昔の中国のものの本に書いてある、絵の見方が高い人は、新しい種類の絵も、良いか悪いかすぐに分かる。ヨーロッパではカーンワイラーは絵をずいぶん研究して目が良くなったんだろうね、新しい作家をちゃんと見抜く力を持っている。

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 3部作の左のパート、大地の部分―大地の厚みというか混沌がまだ無いんだな~。もう一度壊さなきゃ、後何日あるかな、後2ヶ月は欲しいね。中心の人物はまだ絵具が足りない、これもまだだね。右のタミアンはもう少し中心を大きく、、、やってみる。持って行くまでに乾かないことが心配だから夜中扇風機をつけておく。もうこのくらいでいい何てことはしない。作品に対する強い気持ちが筆を置かせない。ここが芸術家なのだと思う。自分の作品を追求する。自分の作品に責任を持つ。画家を見ていると、今の時代の様な軽さはない。もっと重い、深いものでなければ芸術に値しないとつくづく思う。

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 3部作―人物に髪の毛を加える。茶色の色紙を大体のかたちに切ってピンで留めて全体を見て決定する。大きさ、形、色などの様子を見るのにとても良い方法。鵜戸神宮の壁画の豊玉姫に黒髪を入れた時のことを思い出す。作品同士の関連という意味からもこれは良いと思う。現代のお姫様はチャパツのショートヘア。これで全体が更に良くなった。

 宮崎市の保健所にかかっている「オーシャン」を見た人が、太陽銀行に行って、この絵はどこかで見たことがあると思えばそれでいいのだと思う。そうやって人々に浸透していく。そのうち街のあちらこちらの壁に大きな絵が掛っていないと寂しい、あるいは他の街に行って壁に何も掛っていないのを見て、自分の街を振り返ることになる。街の風景というのはそういうふうにして人々に馴染んでいくものかもしれない。

 インドネシアの外国人滞在期間が今の2ヶ月から1ヵ月に、さらに再入国時に$50、それも2週間後。ということが決まるらしい。画家にとって滞在2ヶ月は連続して必要。いよいよビザのことを考えなくてはいけない。お金のかかることじゃ!

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 仕上げなきゃ という気持ちでやるのは嫌なのね。他の絵を描いていて、これをやってというのじゃないと。

 木枠から外して巻いて持ち帰るので乾かすのにどうしても2日はかかる。毎日残りの日数を数える。

 左の大地が何とも決まって来ない様子。人物は髪型を変えて、大きめに。フッと笑っちゃって「古沢のトモちゃんに似て来たなー」。葉っぱがやはりかたいなー。はみ出さなきゃいけないな。今気になっている細かい部分は描きあげて1-2ヶ月もすれば全然気にならないんだけど。明日もう一度やる。喜びと絶望が交差しますね。

 確かに一日中同じ絵を描いているのは見たことが無い。作品の大きさもあり、3部作という事もあり、上を描くのも下を描くのも動かすのもそれは大変。描いては動かし動かしては又描き、3部作のそれぞれのテーマが違い、全体の統一が必要なので、今までやっていた3部作(3点が関連、連続している)とは少し違う。形が気になったり、線のあと1センチが気に入らなかったり、色で悩んだり。こういう仕事もある。

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 これで良いというところまでやっと来た。これからが魂が入るところ。もう2週間欲しい。 絵が唄わなきゃいけない。   傍目にも全力を尽くしているのが分かる。午前中の仕事に一区切りを付けるともうくたくた。 今日は飲まない 少しだけ 午後は続きをやるから と言いながら、残り少なくなった焼酎をグラスに注ぐ。いつも24時間絵のことを考えているが、こんなに1枚の絵のことばかり考えていることはほとんどない。時間的余裕というのが必要。

 自分を否定する力が必要。否定しておいて次に進む。いかに否定できるか。ここから離れるのはなかなかいいのね。しばらく絵の前から離れて、あるいはひっくり返して新しい目で見た時に、それが出来る。

 一番嬉しい時というのは―多分銀行がこの絵を買うと言って、その後バリに戻って、又筆を握る時だろうなー。

 あまねく地球を照らす。その光が粒になってこの地球に点在する。この大地はそうあるように現わしたい。

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 「トモちゃん おはよ!」と言ってアトリエに入る感じ。3枚を間隔を置いて並べて全体をじっと眺めてから仕事にかかる。もう今日で仕上げる。一般の素人にはこれでいい。これを見る絵描きがいるでしょ、この人達が納得することが大事。大衆のオピニオンリーダーになるから。絵描きの先生が「良い」と言えば、大衆は良いと言うし、悪いと言えば大衆も又悪いかと思う。壁画の様なこういう仕事は、こういうことも考えないとね。1度良いと納得すればあとはずっといいんだから。

 昨日のサインが気に入らないと言って書き直し。

 今日を入れてあと3日。今回の荷物はスーツケース3つと、大きな絵5枚のロール、25号と15号の包みが1つ。大荷物になった。福岡勤務になった山下さんが空港までお迎えに来てくれるかしら、空港で宅配便で出すにしても。福岡空港から宮崎行きのバスが無いのは不便。